海外おもしろ話

ココ・デ・メール ~世界最大の種子~

Coco de Mer ?The biggest seed in the world ?

フタゴヤシs
ココ・デ・メールの種子。漂流する実の存在だけが知られていて、自生地がわからなかったので、「ココ・デ・メール(フランス語で”海のヤシ”」と呼ばれていた。日本にも漂着したことがあるという。

セーシェルには、世界最大の種子を持つフルーツがあります。それは、ココ・デ・メール(和名 オオミヤシ 別名フタゴヤシ)で、ギネスブックにも載っています。種子の大きさは、約40センチ、重さは20キロぐらいになるものもあります。種子の形がユニークで、女性の下腹部のような形をしています。
果実は透明なゼリー状で、においはココナッツと同じ、味はココナッツより甘くおいしいです。木が実をつけるようになるまで25年ぐらい、実が熟成するのに数年かかります。
木には、雄株と雌株があり、雄花は男性を思わせる形をしています。セーシェル固有の種なので、種子は勝手に採取したり、国の許可なく輸出したりすることができないなど厳しく管理されています。
セーシェルの島々の中で、2番目に大きいプラスリン島(Praslin)にあるヴァレ・ド・メ公園にはココ・デ・メールが群生する原生林が残っており、ユネスコの世界自然遺産に登録されています。

 

 

ラトビア~知人を訪ねる旅~

Visiting my friends in Latvia

1999年からica でホームステイやビジットを受けている北林さん。この数年はこれまでに受け入れた人々を訪ねる一人旅をしています。


 

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今回9月末からポーランド、リトアニア、ラトビアと3カ国7都市を訪問した。 ポーランドではショパン関連を、リトアニアでは杉原千畝関連を訪ねること、ラトビアでは8年前に外交官コースでセンターに来ていたリンダさんに会うことがメインだった。

ここではラトビアでの話を中心に伝えたい。リンダさんのホームビジットホストと会話パートナーをしたことから、ラトビアは一度は訪れたい国だったが、今回やっとその機会があり、ラトビアでのプランは彼女が考えてくれた。夕方リガに到着すると空港まで迎えに来てくれて、ホテルチェックイン後夕食へ。最近人気の現代風ラトビア料理レストランでシェフがパフォーマンスを交えながら出してくれた。ラトビアでも鰻を食べるそうで興味深く相伴した。蒲焼のようなものではなく目前でバーナーで炙り、ソースをかけてくれた。盛り付けも日本のフレンチのように少量で美しかった。
2日目はシグルダという町へピクニックに行った。森の中をハイキングし二つの城を巡った。帰りにサプライズで夕暮れのバルト海岸に連れて行ってくれた。広大な海に感動したが、小雨に気温2度と寒さにも驚き。
3日目は午前中リガ市内を見学した。リガはバルト三国では一番都会という感じだった。夜は待望のオペラ鑑賞。今まで何度も各国でオペラ座は見たが、オペラ鑑賞をしたことがなかったので大変楽しみだった。ドレスコードがあるので、服を着替えオペラ座に行くとドレスアップした人々が華やかな雰囲気を
醸し出していた。クロークでコート類を預け服装を整える。リンダさんの御祖父様はここのオーケストラの指揮者だったそうで、建物の中にその像があった。私達の席は3階の中央で、舞台からは遠いものの劇場全体が見渡せたのはよかった。演目は有名なマクベス。歌はイタリア語だがラトビア語と英語の字幕が出るので大筋はわかった。3幕あり幕間に休憩が入る。休憩室で食べ物を買える。私達はシャンデリアの下のテーブルでシャンパンとカナッペを食べ、ヨーロッパの雰囲気を満喫した。華麗な雰囲気や歌とオーケストラの迫力に魅了された3時間半だった。
4日目は午後帰国だったが、つい先日ホームビジットに来たリガに住む高校生が会いに来てくれ、少し話す時間が取れた。
こうして、友人のお陰で無事楽しく旅を終えたが、これらロシアやその影響を歴史的に受けてきた東欧の国では英語があまり通じないし、英語表示もほとんどない。道に迷ったときは英語をできる人を探すのに苦労した。日本でも同じようなことが言えるかもしれない。オリンピックを控え、日本でも最低英語表示はどんな場所でも必要だと実感した。

ブラックファラオ?ヌビア人の王たち?

The Black Pharaohs

 

古代エジプトの歴史の中に、「ブラックファラオ」と呼ばれる異国から来た黒人の王が君臨した時代があったことを知っていますか?その王たちは現在のスーダンにあたるヌビアの出身でした。関西国際センターの研修生・ハッサンさんに、お話を伺いました。

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「スーダンにはたくさんすばらしいものがあります。遺跡、宝物、自然、そして一番は優しく親切な人々です」と語るハッサンさん。「スーダンにはたくさんの部族が共存しています。結婚式や赤ちゃんが生まれたときにナイル川の水をかける習慣やヒエログリフのような古い文字といったヌビアの古い文化が残っている部族もあります」

 

現在スーダンとして知られている地域で、おもにナイル川流域に住んでいたヌビア人は、馬術で有名で、裸馬を乗りこなす優秀な騎兵でした。ヌビア語は東部スーダン諸語のひとつで、ナイロ=サハラ派の流れを汲んでいます。ヌビアの歴史は古く、30万年前の旧石器時代から始まっています。紀元前6000年ごろには、農業が行われ、エジプトとの交流が始まり、深いつながりを持つようになりました。

ヌビアという名前の由来にはいくつかの説がありますが、古代エジプト語で金を意味する「nebu」が起源という説が有力です。その名の通り、ヌビアは豊富な量の金を産出して、エジプトにとって重要な役割を果たしてきました。

?(編集部補足)ヌビアにはクシュ王国が成立したが、エジプト新王国時代には、エジプトの支配下におかれていた。その後、他国の侵攻により弱体化したエジプトをヌビア人の王が征服して、第25王朝(紀元前747-紀元前656年)を築いた。これが、「ブラックファラオ」と呼ばれる黒人の王たちの時代である。

ブラックファラオは、約100年間エジプトを支配しましたが、 最近までブラックファラオについてはあまり知られていませんでした。注目されるようになったのはこの40年ほどの間で、スイスの考古学者、シャルル・ボネらにより、遺跡の発掘調査が進んだからです。今は多くの遺跡が、水と砂の下に沈んでいます。

現在スーダンには240以上のピラミッドが残っています。スーダンの人々はこれらの遺跡を残し、古代のファラオを生んだ自国の歴史に誇りを持っています。残念ながら、ピラミッドのほとんどは19世紀に、盗掘にあったり、破壊されたりして、宝物は持ち去られてしまいました。世界遺産に登録されているナパタの神殿にある柱の浮き彫りは、王の脚しか残っていませんが、ブラックファラオは背が高く、とても強かったと言い伝えられています。

現在のスーダンも、金と石油など資源が豊富で、肥沃なナイル川周辺の平地で農業が盛んに行われています。牧畜も盛んで、化学肥料が使われていない牧草で育った家畜の肉は味も良いと評判で、巡礼で賑わうメッカをはじめとして、近隣諸国にも輸出されています。また、世界のアラビアガムの80%がスーダンで作られています。そして、スーダンは中東と西アフリカや南アフリカを結ぶ、交通の要衝でもあります。いろいろな意味で、スーダンはアフリカの重要な位置にあります。